レッテルの危険性
先日のセッション中にチラッと話題に上がったのですが、ぼくは物事にレッテルを貼ることに極めて慎重です。
「この痛みは○○○だ」
「私は○○型の性格なんだ」
「この子は○○タイプだ」
というように、
こころやからだに対して何らかのレッテルを貼るということは、
都合のよいこともある一方で、そこから抜け出しづらくさせてしまう側面も持っているからです。
エネルギー的に重たくなる
この時点では“腰が痛い”という「事実」があるだけで、それ以外に特別な意味はありません。
なんか腰が痛いなぁ~くらいで、あまり深く考えることのない段階です。
姿勢が悪いから腰が痛い?
骨盤が歪んでるのかな?
筋肉が固くなってる? etc.
このような意識が生まれはじめると、腰の痛みにさまざまな想念がくっつき、エネルギー的に重たくなってきます。
エネルギー的に重たい=変化しづらい状態なので、はじめの頃の“ただ腰が痛かった”ときに比べると、なかなか痛みが治りにくくなっているでしょう。
ある意味、曖昧だった腰の痛みがより固定化された概念としての意味を持ちます。これがレッテルが貼られた状態です。
- 椎間板ヘルニア
- 坐骨神経痛
- 腰椎すべり症
そういった名前(=レッテル)を受け入れるごとに、抽象的だった部分が固定化されていき、エネルギー的にも重く固くなります。
そこまでいくと、その状況から抜け出すためには、かなりのエネルギーが必要になるでしょう。
レッテルとの付き合い方
ましてや自らの心や身体の調子がよくないともなれば、なんとかして原因を究明して安心したくなるものです。
そんなとき、何らかの
- 病名
- タイプ
- 診断名
を告げられると(=レッテルを貼られると)、正体がわかったような気がして、どこかホッとします。
「私はヘルニアなんだ」
「私は●●症なんだ」
「この子は●●タイプなんだ」
と固定化してしまうよりも、
たしかに●●タイプの傾向に当てはまること多いよね~
でも、そうじゃない可能性もゼロではないし、あまり固執せんとこう。
でも、何か役立つ対策や情報があればいいな~
くらいの感じで「レッテル」とは適度な距離感をもった軽~いお付き合いをオススメします♪
それを自分にとって役立つように使うのは問題ありませんが、その概念に縛られてしまうと、人生の可能性を著しく損なってしまいます。
何事もほどほど&テキトー、でいきたいですね^^