習いごとに通わせなきゃ!という焦りの原因

2021年8月3日ブログ

習いごとに通わせなきゃという焦り

30年前とはちがい、小学生のうちから習いごとをはじめる子が増えました。

まわりの子が早くから塾やお稽古ごとに通う姿を見て、焦りのような気持ちを抱く方もおられるのではないでしょうか。

一方で、本人が興味を示したときでいいんじゃない?というスタンスの方もおられます。この差はどこから来るのでしょうか?

恐れの気持ちが根底にある

恐れ

まわりの子たちと同じように習いごとに通わせなきゃ!という焦りの根底にあるのは恐れです。

みんなが当たり前にできることを、わが子ができないことに対して、心の奥底で恐怖心を抱いていると、モヤモヤとした気持ちを感じます。

本来は、全員が同じタイミングで同じことをできるようになるわけがないので、そこにモヤモヤを感じる必要はまったくないのですが、

このような恐れを感じてしまう方は「劣る」ということにアレルギーがあります。

結果、うちの子が劣等感で苦しまないだろうか?馬鹿にされたりイジメられたりしないだろうか?というネガティブな思考が頭をもたげてくるわけです。

解決すべきは親の心の古傷

そのような恐怖心を抱く親に共通するのは、人間関係やコミュニケーションに対するトラウマです。

実際に自分が劣等感で苦しんだことがある。友だちにバカにされたりイジメられたりしたことがある。

あるいは、自分が直接的に経験したことではなくても、そこに感情的な引っかかりがあれば、恐怖心を引き起こす元となります。

つまり、解決すべき問題は子どもではなく、親であるあなたの心の中にあるということです。

  1. まわりに対する劣等感
  2. 人間関係のトラウマ

のような心の古傷が和らぐにつれて、習いごとをさせなきゃという焦りは自然と浮かんでこなくなります。

習いごとへのスタンス

提案する

空流が考える、子どもの習いごとへのスタンスは純粋な善意からの勧めです。

純粋な善意とは、単純に自分がイイと思ったことを紹介するだけという意味です。それを受け取るかどうかの判断は100%子どもに委ねます。

なんとか興味を示してほしいとか、もっと○○を身に着けてほしいというのは、親の執着心なので、純粋な善意とは異なります。

  • 自分が経験して楽しかったこと
  • 子どもが楽しんでやれそうなこと
  • 子どもの個性が伸ばせそうなこと

など、ピンときたらポンと勧める。それだけです。

その結果、子どもが興味を示せば良し。全然のってこなくても、それもまた良しというスタンスです。

どちらでもオッケー

どちらもオッケーが正解

親の気持ちが恐れや劣等感などに支配されていると、子どもが不幸にならないためには○○が必要だという思考に陥ります。

そのため、学力にコンプレックスがあると、子どもの成績がすごく気になりますし、運動面でイヤな経験をしていたら、スポーツを習わせなきゃ!となる可能性が高いです。

でも、実際は学力がどうであろうと、運動能力がどうであろうと、進路や就職先がどうであろうと、幸せな人は幸せなものです。

問題はむしろ、「○○がなければ不幸になるかも」という価値観の方で、それを生み出しているのが心の古傷です。

子どもの習いごとについては正解も不正解もありません。

本人が興味を示せばやらせてみるのもありですし、まったく習いごとなどせずとも幸せに過ごすことはできるので大丈夫です。

もし、習いごとをさせてないことに不安を感じるのであれば、それは親の心の中にある幻想が元なので、ヒーリングなどで解消するとラクになります。

そうやって、心を落ち着かせてから考えてみるのも悪くはないですよ^^

心身を整えたい場合には、気軽にご相談くださいませ

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Posted by キヨ